Max酒井プロフィール

Max酒井

1975年9月21日生まれ
おとめ座 七赤金星 O型
愛知県安城市出身 名城大理工学部卒
投資歴:10年
Max酒井になるまでのあらすじ

酒井智明(本名)の時代
高校まで安城市で育つ。大学に入って名古屋で一人暮らしを始める。大学に入って間もなく、友人とストリートダンスを始める。1998年大学を休学して(もともと留年していた)CDデビュー3枚発売するも、まったく売れず帰郷。復学するも単位が取れず、結局8年在学(親に迷惑をかけました)。卒業後、建築の設備設計事務所に勤める。2005年結婚、同年、一級建築士、宅建取得し、父親の建設会社に務める。2008年長女が生まれる。公私ともに順調に行っている時代でした。そして、その当時の会社の人間関係や給料などに疑問を抱きつつ、ふと手に取ったのが”ネットで株”という本。ここから、酒井の株人生が始まりました。正確言うとこれは2005年、結婚当初の話。
2007年日経新聞の折り込みに入ったいた「株の学校123」のチラシを見て、体験セミナーへ。代表の泉さんが、チャートを使って利益の出る仕組みを解説。「これだ!」直感で入学を決意。
サラリーマンの傍らせっせとトレードをする日々。稼いだ給料は、家族に入れる分を除いて、ほとんどを株の資金に。少しずつ利益が出始める。ある日、ふと電話がなった。受話器の向こうは、なんと、123の代表の泉さんだった。
「この前言っていた話(講師になろうかなってぼぞっといっていた)どうかな?やってみる?」
えーーーー!突然の話に、気が動転しました。「いいんですか?・・・やります!」即答でした。株は好きだし、トレードが超面白かった。そして、何よりトレードで生活することに憧れていた僕にとって、それが仕事にできるという喜びで感極まりました。そして、「酒井智白」(ともあきと読みます)と漢字を変えて、123の講師兼トレーダーとして、デビューしました。僕にとっては、人生の大きな2回目のデビューといった感じでした。

酒井智白の時代
講師として登壇してみると、意外としゃべれる。向いているかもって思いました。
それから、数年、講師兼トレーダーとして、絶頂期を迎えます。講師ビジネスとトレードの儲けで、年商4000万近くを稼ぐまでに成長。節税を知らず、個人の納税で400万近く所得税を払ったこともありました。住まいもお台場に引っ越し、娘を私立の保育園に行かせ、妻は、ヨガのビジネスを金銭面でサポート。余裕がありました。なんでもできる気がして、なんでもやりました。株の学校123の新宿スタジオを開設したり(敷金や会場設営費で1000万以上はかかりました)、当時の法律上、投資顧問業をとることになり、供託金で500万払ったり、節税で僕と妻の給料を毎月100万くらいに設定したり、ベンツやBMを買ったり、いろいろやりました。でも、お金には困りませんでした。はっきり言って、無敵だと内心思っていました。年に3回のハワイやグアム、韓国などへの海外旅行。そして、仕事仲間と香港、マカオ。夜は、六本木、銀座で○○通い。楽しくてしょうがありませんでした。
そのころ、ネットで講義をすることになり、会場に行くよりも効率的なネットのビジネスのやり方にはまっていきました。日々、トレードとネットの授業をして、これもうまくいきました。と同時に、あまり人とあわなくなっていきました。正直、この時は、生徒さんに気を使わなくていいし、人と会うと自由な時間がとられてしまっているような気がして、あまり人と会うのがめんどうになっていました。そして、、、あることが世の中で起こります。 ネットバブルがはじけたのです。そして、この頃から、 風向きが変わりました。なにをやっても、うまくいかなくなったのです。ネットにあまりにも偏った結果、ネットで売れない場合は、大きなしっぺ返しをくらいます。正確に言えば、くらっていることすらその時は気づきませんでした。気づいたら、何もないんです。もちろん、環境ややり方は変わっていません。でも、自分のやることが まったく売れないという体験をしたんです。その頃は、無理くり考えて販売しようとして、多くの人や生徒さんに迷惑をかけたこともあったかと思います。 本当にすみませんでした。でも、僕が今でも言えることは、間違ったものを売ろうとしたことは一度もありません。ただ、 売り方に問題があったと
そして、このあたりから 人生が大きく下降していきます。ビジネスでうまくいかなくなるとここまでひどくなるかというくらい、 お金が無くなっていくんです。感覚がお金がある感覚になっていますので、うまくいきそうなビジネスがあるとすぐに乗っかる。すぐにお金を出す。そして、すぐに失敗をして、またすぐ、手を出す。いい情報がほしいためにいろいろな人とお金を使って交流する。収益がないのに、使い方は、以前よりも大幅に増えていました。トレードよりもビジネス、ビジネスが面白いんだ!と 日々お金を垂れ流す状態を2年間くらい続けました。トレードで稼いだお金は、失敗するビジネスのためにどんどんなくなっていきました。今思えば 阿保らしいです。でも、その時は、まるでそれを楽しんでいるかのようにふるまっていました。
そして、ある日、預金通帳を見てみたら、通帳にほとんどお金が入っていないんです。最大で、 預金が2,000円になったこともあります(カードの引き落としが多すぎて)。トレード資金も阿保らしビジネスのために回したために、ほとんど残っていませんでした。気づいたのが遅かったです。本当にばからしいです。 自分が嫌になりました。自分なんて消えてなくなってしまえばいいと本気で思っていた時期もありました。表向きには、株の講師なので、微塵も見せませんでしたが、心の内は、散々なものでした。この状況に気づいたのは、実は2015年の暮れくらいのこと。実は最近のことです。

Max酒井としての決意
2015年の12月25日のクリスマス、家族を離れ、一人考えました。この人生、どうしたものかと。このまま、終わっていいのかと。自問自答を繰り返しました。 本当に苦しかったです。泣きたくてもあきれて涙も出てきませんでした。そして、 心に決めました
”もう一度、やろう”と。生活が、昔(儲かっていないころ)みたいに戻るのも嫌だし、恥ずかしい姿をさらすのも嫌だ。でも、俺にはこれしか残っていないんだということに気が付きました。それが トレードと講師業、お金にかかわる動きを見極め、語り、それによって自分もかかわる人たちも楽しい人生が送れるのではないかという確信でした。前みたいにお金はありません(かろうじて、離婚はしていません、首の皮一枚です泣、子供の英語の教材費も払えません泣×2、 家族に感謝です)僕には、頭の中にすり込まれた、 『相場の感覚と僕をしたってくれる生徒さん、123の仲間がいました』。”やれる”僕はそう思いました。そして、2015年の暮れから、Tradegateを立ち上げるべく、コンテンツ制作とWEBサイト、関係機関との折衝に入りました。このTradegateは、そんな私が、投資に興味がある人たち、そして、これから興味をもってもらう人たちのために、 自分の人生をかけて貢献する場にしよう。そう思って立ち上げました。稼ぐだけ稼いだ、使うだけ使った、借金もした(まだあります)そして、何もなくなった、状態から今ある環境を見つめ直し、その有難さに触れて、自然に沸いてきた気持ち、そして、これからの情熱を込めて、創りました。私が創って行きたいのは、 投資と投資教育を通じた人とのつながり、希望です。運営はいろいろと困難なこともあるかもしれませんが、常に自分と相場、そして、人を見続けていき、世界に通じるようなトレーダーの育成、豊かな人生のきっかけを多くの人々に届けていきたいです。そして、2016年3月1日、Max酒井としてまさにそのゲートをオープンさせます。 人に新しいものを届けるゲートになる。無我夢中で走っていきます。長くなりましたが、私がMax酒井となったあらすじを伝えさせていただきました。ここまで読んでいただいてありがとうございました。ちなみにMaxは、資産Maxにし続けるという気持ちの表れと、単に呼びやすかった、という理由です。
これから、Max酒井を何卒よろしくお願いいたします。

Max酒井